ジョージ・オーウェル 『象を撃つ』
ジョージ・オーウェルの『象を撃つ』の翻訳をお届けします。 原文は
で読むことができます。
* * *
象を撃つ ジョージ・オーウェル
南ビルマのモウルメインでわたしは非常に多くの人から憎まれていた。そこまでの重要人物になったのは、あとにも先にも一度きりだったが。わたしはその町の派出所の警官だったのだ。そこで、これといって目的もない、いやがらせのようなかたちであらわれる反ヨーロッパ感情には、ひどく苦い思いをさせられたのである。
暴動を起こそうとするほど気骨のある人間はいないくせに、ヨーロッパ系の女性がひとりで市場を歩いているようなことでもあれば、だれかかならず、噛んでいるビンロウの汁をその服に吐きかける。警官であるわたしなど恰好の標的で、危害が自分に及ばないと判断できれば、絶対に嫌がらせをしかけてくるのだった。サッカーのときにすばしっこいビルマ人に足をかけられて倒されても、審判(これまたビルマ人)はそっぽを向いているし、観衆はどっと笑い転げる。そのようなことは一度や二度ではなかった。しまいには、どこへいっても出くわす若い連中の嘲るようなにやにや笑いを浮かべた黄色い顔と、十分に距離をおいた後ろのほうから浴びせかけられる野次に、すっかりまいってしまうことになる。なかでも最悪なのが� ��若い仏教の僧侶たちだ。町には何千という僧侶がいたが、だれひとりとして、町角に突っ立ってヨーロッパ人を嘲る以外にすることがないらしかった。
これにはわたしも混乱し、動揺せずにはおれなかった。というのも、当時わたしは帝国主義は悪で、この仕事を放り出すのなんか、早ければ早いほどいい、と心を決めていたからなのだ。理屈の上では――もちろん密かにそう思っていただけだったのだが――わたしは完全にビルマ人の側に立っていて、彼らを抑圧している大英帝国に反旗を翻していた。自分がやっている仕事については、とうていことばにできないほど、激しく憎んでいたのだ。
警官のような職に就いていると、帝国の卑劣なやりくちを間近で見ることとなる。悪臭の充満する監獄の檻につめこまれたみじめな囚人たちや、長期刑囚たちの怯えた灰色の顔、竹の棒で打たれた男たちの傷だらけの尻。なにもかも、耐えがたいほどの罪悪感となってのしかかってくる。けれどもわたしには広い視野でものごとを見ることができなかった。若く、教育もなく、東洋にいるイギリス人ひとりひとりに課せられる、有無を言わせない沈黙のなかで、自分の問題を考え抜かなければならなかったのだ。
大英帝国が死に瀕していることも知らなかったし、ましてそれに取って替わろうとしている新興の帝国主義国家群と較べれば、英国のほうがはるかにましだ、ということなど、理解できるはずもないのだった。わかっていたことは、ただ、自分が仕える帝国にたいする嫌悪と、仕事を妨害しようと企てる、悪意に満ちたやつらとのあいだで板挟みになっている、ということだけだった。心のどこかでは、英国の植民地支配を、強固な専制支配である、抑圧された人々の意志を、半永久的に踏みつけにするものだと思いながら、別のところでは、僧侶たちのはらわたに銃剣を突き刺してやれたらこれほど愉快なことはないだろう、と思っている。こうした感情は、帝国主義にあってはごくありきたりの副産物なのである。だれでもいい、� ��ンド在住のイギリス人役人を非番のときにつかまえて聞いてみるといい。
そんなある日に起こった事件が、間接的なやりかたではあったけれども、いろいろなことをあきらかにしてくれたのだった。事件そのものは些細なできごとだったのだけれど、それまでに体験したどんなことより帝国主義というものの本質、専制政治を動かしているほんとうの動機を、垣間見ることができたのだ。
ある朝早く、町の反対側にある警察署の警部補から電話があって、象が一頭、市場で暴れているという。こちらに来て、なにか手を打ってもらえないだろうか。いったい何をすればいいのやら見当もつかなかったけれど、どんなふうになっているのか知りたくて、ポニーに乗って出向くことにした。ライフルは持っていったが、旧式の四四口径のウィンチェスター銃では、象を射殺するには非力すぎる、それでも銃声で脅すぐらいの役には立つのではないかと考えたのである。
とちゅうで大勢のビルマ人に呼び止められて、象がどうしたという話を聞かされた。もちろん野生の象ではなく、飼われている象に「さかり」がついたのだ。象は鎖でつながれていた、というのも通常、発情期に入った家畜用の象はそうすることが義務づけられていたからなのだが、昨夜、鎖をちぎって逃げ出したらしい。こういう状態になったときに言うことを聞かせられるのは、その象の象使いしかいないのだが、追いかけていったはいいが、方向がちがっていて、いまや十二時間もかかる場所にいるという。ところが象ときたら、突然町に戻ってきたのだ。
ビルマ人は武器を持つことができなかったから、どうすることもできない。竹作りの民家を一件壊し、牛を一頭殺し、露天の果物屋を襲撃して、売り物をむさぼった。おまけに町営のごみ回収車に出くわして、運転手が飛び出して逃げていくと、車をひっくりかえしてめちゃくちゃにしてしまったのだという。
津波はどのくらいの頻度で発生した
ビルマ人の警部補とインド人の巡査が数名、象が現れたという区域で待っていた。非常に貧しい一帯で、棕櫚の葉で屋根を葺いたみすぼらしい竹の小屋の家並みは、丘の急斜面に入り組んだ迷路をつくりだしていた。雨季の初めの、雲の低く垂れ込める蒸し暑い朝だったのをいまでも覚えている。
象がどこへ行ったか、住民に聞き込みを開始したが、例によってなにひとつはっきりした情報は得られない。東洋ではいつもこうなのだ。遠くで聞いていればはっきりした話が、いつだって現場に近づくにつれ、曖昧になっていく。あっちへ行った、いやこっちだ、なかには象のことなんか聞いたこともない、ときっぱり言い放つ輩まで現れる。まったくの作り話だったのだ、と思いかけたそのとき、すこし離れたところから叫び声が聞こえてきた。
「子どもはこっちに来るんじゃない、さっさとあっちへ行け!」と苛立った怒鳴り声がしたかと思うと、小屋の陰から小枝を手にした老婆が現れ、裸の子どもたちを荒々しく追い立てる。その後ろからさらに何人かの女が、舌打ちし、叫びながら出てきた。子どもが見てはならないものがそこにあるのはあきらかだった。
わたしが小屋の裏手にまわってみると、男の死体がぬかるみに横たわっていた。インド人だ。色の黒いドラヴィダ族の苦力(クーリー)で、裸体に近く、ほんのいましがた命を落としたようだ。小屋の陰から現れた象が、いきなり襲いかかってきて、鼻でつかまえると背中に足をかけ、ぬかるみで踏みつけたのだという。雨季ということで地面は柔らかく、男の顔は三十センチちかくも泥のなかに埋まり、二メートル近く引きずられた溝ができていた。
男は両腕を横に広げてうつぶせに倒れ、首が鋭角に曲がっている。泥だらけの顔は、目をかっと見開き、歯をむき出しにして、耐え難い苦悶の表情を浮かべていた(余談ではあるが、死者の顔が安らかだ、などと言わないでもらいたい。わたしが見たことのある死体のほとんどは、怖ろしい形相だった)。巨大な獣の足でこすられたせいで、背中の皮はウサギの皮をはいだように、すっかりはぎとられてしまっていた。死体を目の当たりにしたわたしは、即座に近くの友人宅に使いをやって、象狩りに使うライフルを貸りに行かせた。ポニーはそのまえに送り返していた。象の臭いに怯えて暴れ、振り落とされでもしたらたまらない、と思ったからである。
使いは数分もすると、ライフルと薬包を五発持って戻ってきたが、そのあいだにも、何人かのビルマ人が来て、象ならここから数百メートルほど先の、ふもとの水田にいると教えてくれた。わたしが歩き出すと、その地区の住民のほとんど全員が家から出てきてあとからついてくる。ライフルを見て、口々に象を撃つんだ、と叫んで大騒ぎをしだしたのだ。
象が家を壊したくらいでは、たいした関心も示さなかったのに、象を撃つとなると話は別らしい。イギリスの野次馬と同じく、ビルマ人にもちょっとしたみものだったのだ。加えてその肉もほしかったようだが。
わたしはなんとなく不安な心持ちだった。象を撃つつもりなどなかった――ライフルを借りにやったのは、単に万一の場合に我が身を守るためだったにすぎない――し、群衆が後ろからついてくるというのは、どんな場合でもあまり気持ちのいいものではない。ライフルを肩にかけ、馬鹿づらをさげ、事実、馬鹿になったような気分で丘を降りていくわたしの後ろに、押し合いへし合いしながらついてくる群衆は、増えていくばかりだった。
丘のふもと、家並みが途切れると、砂利道に出た。その先は何キロにも渡って、荒れた泥田が続いている。田起こしが始まってもいないのに、雨季のはしりの雨でぬかるみになり、点々と雑草が生えていた。象は道路から80メートルほど離れたところに、こちらに左側を向けて立っていた。近づく群衆にも目もくれず、雑草のかたまりをむしっては、膝に叩きつけて泥を落とし、口に押し込んでいる。
わたしは道に立ったままためらっていた。象を見たとたん、撃ってはならない、とはっきり悟ったのだ。労役に使う象を撃つとは大変なこと、巨大で高価な機械を破壊するにも等しいことなのだ。そうしないですむのなら、避けたほうがいいのはあたりまえである。しかもこれくらいの距離を置いて見る象は、のんびりと草を食べていて、雌牛よりも危険なようには思えない。いま考えてもやはりそう思うのだが、そのときのわたしは、象の「さかり」は終わりかけている、これなら象使いが戻ってきてつかまえるまでのあいだ、悪さをすることもなくぶらぶらしているだけだろう、と考えたのだ。なによりも、象を撃つのなんてごめんだった。しばらく様子を見て、また暴れるようなことがないのを確かめたら、引き上げるとしよう� ��わたしはそう決心した。
どのように落葉広葉樹林は四季に似ていますか
そのとき、ふと、ついてきた群衆をふりかえったのだ。おびただしい人群れだった。少なくとも二千はいて、さらに刻々と増えつつある。群衆は道の両側をはるか彼方まで埋めつくそうとしていた。わたしは派手な色の服の上に載った黄色い顔の海を見やった。どの顔も、象が撃たれると信じきって、このささやかな娯楽に興奮し、幸せそうな表情を浮かべている。こちらに向けた目は、手品を始めようとする奇術師でも見ているようだった。あんなやつなんか嫌いだが、魔法の銃を手にしているこの間だけは、見てやる値打ちがある、というのである。
とつぜん、結局は自分が象を撃たなければならなくなったことを悟った。人々がそれを望んでいる以上、わたしはそうせざるをえないのだ。否応なく、二千人の意志によって前に押し出されていくのを感じる。この瞬間、ライフルを手に立ちつくしているまさにそのとき、東洋における白人による支配の虚しさ、無益さを、わたしは初めて理解したのだった。ここにわたしがいる。銃を手にした白人が、武器を持たない原住民の群衆の前に立っている。いかにもこの劇の主役のように。けれども実際は、うしろの黄色い顔の意志に押されて右往左往する愚かな操り人形にすぎないのだった。この瞬間、わたしは悟った。白人は専制君主となったとき、自分自身の自由をみずから無効なものにするのだ、ということを。空疎な、ポーズを� ��るだけの張りぼて、類型的な旦那(サヒブ)になってしまうのだ、ということを。
だからこそ、支配するためには「原住民」に感心されなければならず。そのためには「原住民」を威圧することに、生涯を捧げること、どんな場合でも「原住民」の期待を裏切らないこと、それが白人支配の条件なのだ。仮面をかぶっているうちに、顔が仮面に合ってくるのだ。わたしは象を撃たないわけにはいかなかった。ライフルを借りにやったとき、みずからをそうする羽目に追い込んでしまったのだった。サヒブはサヒブらしくふるまわなくてはならない。毅然とした態度で、迷うことなくきっぱりと事に当たらなくてはならないのだ。ライフルを携え、二千人の観衆を引き連れてここまでやってきながら、なにもせずに尻尾を巻いて引き下がる――いや、そんなことができるはずがなかった。群衆は嗤うにちがいない。そし� ��わたしの生活は、東洋における白人の生活の一切は、この嗤われまいとするための長い闘いだったのである。
それでもわたしは象を撃ちたくなかった。象が、あの一種独特の老婆のような雰囲気を漂わせながら、ひとつかみの草を膝に無心でたたきつけているようすを見つめた。こんな生き物を撃つのは、殺人にほかならないように思える。動物を殺すことに神経質になるような年でもなかったが、象を撃ったことはなかったし、撃ちたいと思ったこともなかった(なんとなく大きい動物を殺すほうが罪深いように思えるものだ)。加えて、象の飼い主のことを考慮しておかなければならなかった。生きている象は少なくとも百ポンドの価値はある。だが死んだ象は象牙の値打ちだけ、おそらくは五ポンドかそこらだろう。だが、もうぐずぐずはしていられなかった。こういうことに詳しそうなビルマ人たち、わたしたちが来る前からそこにい� ��連中に、象がどんなようすだったか聞いてみた。答えはみんな同じだった。手出しをしなければ何もしないが、近づきすぎれば襲いかかるかもしれない。
なにをなすべきかは明白だった。およそ二十メートルくらいまで近寄ってみて、象の反応を確かめるのだ。襲いかかってくるようなら、撃つまでのこと。何もしなければ象使いが戻ってくるまで放っておいても大丈夫、ということだ。だがそんなことはできないことも、よくわかっていた。わたしはライフルを撃つのがあまりうまくないし、地面はぬかるんでいるから、一歩ごとに足がめりこんでいくだろう。もし象が襲いかかってきて撃ちそこなうようなことにでもなれば、蒸気ローラーの下のひきがえるも同然ということになるだろう。けれどもこんなときでさえ、自分の身の安全はそれほど気にならず、うしろで見守っている黄色い顔ばかりが気になるのだった。群衆の注視を浴びていたわたしは、ひとりでいるときなら感じた� ��ずの、通常の恐怖感はなかった。白人は「原住民」の前で怖がってはならない。だからたいていのとき、白人は恐怖を感じないのだ。わたしの頭にあったのは、もしへまをすれば二千人のビルマ人の目の前で、象に追いかけられ、つかまり、踏みにじられて、丘の上で見たインド人のように、歯をむきだした死体になってしまう、ということだけだった。そんなことになったら、嗤う連中も出てくるだろう。そんなことがあってはならないのだ。そのためには方法はひとつしかなかった。わたしは薬包を弾倉にこめ、狙いやすいように道に腹這いになった。
群衆は静まりかえった。ついに芝居の幕があがりかけたときのように、低く深い、満たされたような溜息が、無数の喉から漏れた。ついにお楽しみが始まったのだ。ライフルは十字照準がついたドイツ製の上等なものだ。当時はまだ象を撃つときは、両方の耳の孔を結んだ線の中間を狙うということを知らなかった。つまり、象は横を向いていたのだから、まっすぐ耳の孔を狙わなければならなかったのだ。ところがわたしが実際に狙ったのは、脳はもっと前にあるだろうと考えて、そこから十センチ以上も前だった。
どのくらい月に水?
引金を引いても、銃声も聞こえなければ反動も感じなかったが――命中したときというのは何も感じないのだ――背後の群衆のあいだから、すさまじいばかりの歓声が沸き上がった。まさにその瞬間、銃弾はまだ達してもいないだろうというくらいの短い間に、ふしぎな、怖ろしい変化が象の身に現れたのだ。ぐらつくことも倒れることもなかったが、全身の輪郭線が一変してしまったのである。とつぜんうちのめされ、しなび、一挙に年を取ってしまったように、弾丸の強烈な衝撃に麻痺し、くずおれることさえできなくなったかのように見えた。ずいぶん時間が過ぎたように思えたころ――実際には五秒ぐらいのものだったのかもしれない――、象はがくっと膝を折った。口から涎が流れる。すっかり老い衰えたように。何千歳に� ��なった老人のように。わたしはもういちどおなじところを撃った。二発目でも象は倒れることなく、力をふりしぼってゆっくりと脚を伸ばすと、ぐらぐらしながら頭を垂れたまま、なんとか立ち上がった。わたしは三発目を撃った。これがとどめだった。苦悶が象の全身を揺さぶり、かろうじて脚を支えていた最後の力も尽きたのが、はっきりと見てとれる。それでも、倒れながらも象は一瞬立とうとしたようだった。というのも、後ろ脚が体の下でくずおれると、上体はぐらつく巨岩のようにそそり立ち、鼻を木のように高々と空に振りあげたからだ。象は一声、啼いた。それが最初で最後だった。それから、わたしが伏せている地面までが揺れるほどの地響きをたてて、腹をこちらに向けて倒れた。
わたしは立ち上がった。ビルマ人たちはいっせいに、わたしを追い越して泥の中へ駆けだしていく。象が立ち上がるようなことがないのはまちがいなかったが、それでもまだ死んではいなかった。ごろごろと長い喘ぎ声を響かせながら、規則正しい呼吸が続き、小山のような脇腹が苦しそうに波打っていた。口が大きく開いている――ピンク色の喉が洞窟のように奥の方まで見えていた。死ぬのを長いこと待った。それでも呼吸は弱まっていかない。ついにわたしは残った二発を、心臓があるとおぼしい場所に向けて撃ちこんだ。深紅のヴェルヴェットのようなどろりとした血があふれだしたが、それでも死なない。弾丸が当たっても、びくともせず、苦しそうな息が休むことなく続いている。象は死につつあった。緩慢に、怖ろしい� ��どの苦悶のうちに。けれどもそれはわたしから遠く離れた別の世界、弾ですらこれ以上傷つけることのできない世界で死につつあったのだ。この怖ろしい音を止めなくてはならない。動くこともできず、死ぬことさえできないままそこに横たわる、巨大な動物を目の当たりにしながらも、とどめをさしてやることさえできないのは、あまりにむごいことのように思えたのだ。わたしは自分の小型ライフルを持ってこさせると、象の心臓と喉めがけて、何発も弾丸を浴びせた。だが、なんの効果もない。苦しげな喘ぎ声は、時を刻む時計のように規則正しくつづいていく。
もうこれ以上耐えられなくなって、わたしはその場を去った。のちに聞いた話では、死ぬまでに半時間ほどもかかったらしい。わたしがまだそこにいるうちから、短刀や籠を手にかけつけたビルマ人たちは、午後には皮と肉をすっかり剥いで、骨だけにしてしまったという。
もちろんその後は、象を撃ったことをめぐって、果てしない論争となった。象の飼い主は烈火のごとく怒ったけれど、一介のインド人にどうすることもできなかった。そのうえ、法的な見地からすると、わたしがしたことは正しかったのだ。凶暴化した象は、狂犬と同じように、飼い主の手におえなくなれば、殺すのが当然だからである。ヨーロッパ人のあいだでも意見はわかれた。年配の人々はわたしは間違っていない、と言ってくれたが、若い層は、クーリーをひとり殺したくらいで象を撃ったりするなんて、馬鹿な話だ、無能なコリンガ人のクーリーなんかより、象のほうがはるかに値打ちがある、と言うのだった。のちに、わたしはクーリーが殺されたことをありがたく思うようになる。そのためにわたしは法的に正しかった� ��とになり、象を撃ったことに十分な根拠が与えられたのだから。わたしはなんどとなく、だれかはっきりと理解した人間はいるだろうか、と思ったものだった。わたしがそんなことをしたのは、馬鹿だと思われたくない、ただそれだけのためだったのだ。
The End
憎しみを受けとめる、ということ ――『象を撃つ』についてまとまらないままに
その昔、おそらく雑誌で読んだのだと思うのだけれど、アメリカの映画スターのデンゼル・ワシントンが南アフリカ共和国に行った、という話が載っていた。印象的だったのは、同行した彼の息子が「ここには黒人がいっぱいいるね」とうれしそうに話した、ということだった。
ワシントンの息子は、おそらくはアメリカで上流階級の子どもが通う学校に行っているのだろうし、そうした学校では黒人は圧倒的に少数なのだろう。そういう学校で、しかも映画スターの子どもであるならば、露骨な差別意識や偏見にさらされることも少ないのではないか。それでもマイノリティであるということはそれだけで神経をすり減らすことなのだ、とひどく印象に残ったのだった。
植民地で支配する側の一員であるというのはどういうことなのか。
たとえば、牧師の娘としてインドに行き、自分がそこにいることに何の疑問も抱かず、自分に向けられる眼差しの意味に気づくこともなく、そこに住む「原住民のこども」を題材に、「愉快な」物語を書くこともできる(バンナーマン夫人の『ちびくろサンボ』のように)。
あるいは、キプリングのように「情け深い帝国主義」、イギリスが面倒を見てやらなければ、インドは立ちゆかない、と考えることもできる(『少年キム』は名作だけれど)。
オーウェルは、そのどちらともちがって、帝国主義に批判的な目を向けつつもその一員として、自分に向けられた憎悪をひたすらに感じる、という道を選んだ、というか、結果的に取らざるを得なかった。
それがどれだけきついことだったか。
少なくともその「きつさ」を想像してみる価値はあると思う。
オーウェルは五年間の勤務の間に健康を害し、休暇を取って帰国する。
1927年に休暇で帰国したとき、勤めをやめようというはらは、もう半ば決まりかけていたが、イギリスの空気をひと息吸ったとたんに、完全に決まった。あのえげつない独裁制の先棒をかつぎに戻るのは、もうまっぴらごめんだ、と思った。しかしわたしの気持ちは、ただ勤めをやめたらそれでいい、というものではなかった。今まで五年間、弾圧機構の一部をつとめてきたわたしは、そのために良心の呵責をも感じていたのだ。忘れることのできないおおぜいの人たちの顔――被告席に立った囚人の顔、死刑囚監房で処刑を待っている死刑囚の顔、わたしがどなりつけた部下たちの顔、木で鼻をくくったようにあしらってきた老いた農民たちの顔、怒りにまかせてげんこで殴りつけた召使いや苦力たちの顔(東洋へくると、おおぜいの人 が、少なくとも時々はこんなまねをする。それというのも、東洋人という連中をあしらうのは、まことにもって気骨が折れるからだが)――がわたしにつきまとい、どうにも我慢ができなかった。わたしは自分が償いをしなければならない罪の重さを意識していた。……
帝国主義からぬけ出すだけでは充分でないので、ありとあらゆる形式の、人間による人間の支配からもぬけ出さなければならない、という気がした。わたしは自分の身を落とし、しいたげられている人たちの中へじかに入り込んで、そのひとりとなり、その人たちの味方となって、しいたげられている連中と闘いたい、と思った。
(『ウィガン波止場への道』 『動物農場』高畠文夫訳 角川文庫版解説よりの孫引用)
実際にオーウェルはそうして最下層に身を投じることになる。この間のことは『パリ・ロンドン放浪記』(小野寺健訳 岩波文庫、ほか晶文社版も)に詳しい。
人が人を支配する、というのは、どういうことだろうかと思う。
わたしはソキウスのこのページでマルクスの「この人が王であるのは、ただ、他の人びとが彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが、彼らは、反対に、かれが王だから自分たちは臣下なのだとおもうのである」ということばを知った。
支配というのは、暴力と表裏一体のものではないのか。
支配する、というのは、少数の力をもった人々が、多くの、無力な人々をその力によって圧倒し、抑えつける、ということではないのか。
マルクスが上記のことを言っているのは、非常に興味深い。
開高健は、この『象を撃つ』という短編を
〈支配スルモノハ支配サレルモノニヨッテ支配サレテイルノダ〉という簡潔な主題をこれ以上ない明瞭さで言明しておき、そして託宣の強烈さがデリケートな全体を損傷することなく、みごとなイメージに一篇を結晶させてみせた。
(開高健「24金の率直 ――オーウェル瞥見――」『動物農場』角川文庫版所収)
とまとめた。確かにそれはそのとおりなのだけれど、そして、確かに〈支配スルモノハ支配サレルモノニヨッテ支配サレテイル〉のだけれど、ことはそれほど単純ではないのだ。
支配される者が自発的に膝を屈する、というのはどういうことなのか。オーウェルに嘲笑を浴びせ、見せ物を楽しんだビルマ人をどう考えたらいいのか。
あるいはまた、彼らに政治心情的には寄り添おうとしつつも、その「黄色い顔」の得体の知れなさに、恐怖と嫌悪を感じたことも、オーウェルはちゃんと書いているのだ。単純にそのことを「支配」の文脈でとらえるだけでいいのか。
そうしてまた、それを日本人の自分が読むということは、どういうことなのか。白人の側から読むのか、「黄色い顔」の側から読むのか。
「主題」は袋の口を閉じるひもではない。
考えなければならないことはたくさんあるのだ。
初出March.29-April.03, 2005、改訂April.25, 2005
0 件のコメント:
コメントを投稿